コスモライフォロジーさんの性の記事に大共感したので紹介します。

記事の中にある
社会構造全体が男性の身体性に特化して、それをベースに成り立っている。

本当にそれな!と心から共感しました。

さらにコスモさん曰く、”人類全体が女性と女性性について何も知らない”という新事実にメスを入れてくれました。

 

彼女の記事を拝見し、私は真理を追求することが好きなんだと改めて思いました。

 

そしてだから私はまだ「これだ!」という最終的な自分の心のしくみと真理にたどり着けていない違和感を抱えていて、今も心理について考え続けているんだと分かりました。

彼女の記事に行きついたきっかけになった、私の今日の考え事。
あまり自己否定しない人もいる中でわざわざ自己否定する理由はなんなのか。

自己否定をしていると一見しんどいですが、自己否定をしていた方が生きやすい背景もあるわけで、私自身もこれをしっかりと体感的に落とし込みたくてずっと考えています。

それが自己否定を強要する日本の文化こそが生きづらさを作っているともいえるし、私は埋まらない、消えない寂しさは=自己否定(自分の一部の存在を排除しようとすることで起こる心の痛み)だと思っていましたが、コスモさんの記事を拝見して、そこにプラスしてお互いに愛し合っている男女の繋がりによって完成するものなのかもしれないという新たな気づきが生まれました。

私が普段考えることは該当する人にとっては不愉快であったり、場合によっては本人の無自覚さゆえに傷ついたり、怒らせてしまう可能性も高く、ネット上で本音を書くことは不適切であると思うので控えていますが、(誰かを弾劾するために書いているわけじゃないから)いろいろと好きに書くことができるようで不自由な表現の場であるとも感じています。

伝わらなさを感じるとき、それは私の言葉選びの問題でもあり、読み手との語彙力、人生経験の差による埋まらない溝でもありますが、そのような中でいち個人の意見としてこのように発信できる(それでいて誰も傷つけない言葉選びができる)人には敬意を感じずにはいられません。